お母さん、このように考えると楽になりますよ

昨日の続きです。

H君のお母様は、大変実直な方です。
ただ、その実直さゆえに、
子どもさんの言い分と食い違いを起こすことが少なくありません。

そのたびに、自分の言い方が悪いのではないかと
ご自身を責められるのですが、
どちらのご家庭でも、みんな同じ悩みを抱えていらっしゃるのではないかと思い、
次のような返事をお送りしました。

* * * * * * * * * *

ありがとうございます。

お母さんって、みなさんそうですよ。

わが子に理想像を描きます。

それは私のオフクロ様も同じでした。

逆に、それが母親ってもんだと思えば、楽になります。

わが子の幸せ、

わが子が大きく羽ばたいてくれることへの想いのないお母さんなんて、
いらっしゃらないのではありませんか?

もっとも、昨今は、そうでもない方もいるようで、悲しい事件が起こりますね。

でも、そういう方は、ごく少数です。

他人だからこそ一線を引ける。一線を引けるからこそ出来ることがある。

その逆に、一線を引いた他人では出来ないことがあります。
それが家族で出来ることです。

お母さんだって、お父さんだって、ひとりの人間です。
たかがひとりの人間。されどひとりの人間、なのです。

それは私も同じです。
塾舎では先生ですが、一端外に出れば、たかがひとりのオッサンです。(笑)

他人だからこそ出来ることと、家族でないと出来ないことを
上手に使い分けることができれば、
お母様は、もっともっと、お気持ちが楽になります。

Y君(長男坊さん:私の塾生です)には、

「わが子の幸せを強く願っているから、どうしてもガミガミと言ってしまうのが、

親ってもんです。
他人は表向き(口で)は褒めているけれど、Y君に何か良くないことが起きたら、
これも同様に、口では『大丈夫か?』と言いながら、

心の中では『ざまあ見ろ』と思っているかも知れない。

でも、家族は絶対にそうは思わない。それが家族ってもんでしょ?」と言うことがあります。

叱られているうちが華です。

社会的地位が上がり、名誉も出来てくると、周囲の人は批判をしなくなります。

それどころか、イエスマンばかりになる。

そのとき、「お前、それはやめろよ」と言ってくれる家族や友人や先輩がいる人は、
失敗を免れるといわれます。

その「お前、それはやめろよ」と最も強く言ってくれるのが、親なのです。

そういうことも、これから反抗期に入る子どもさんに、
反抗期に入る(入った)気配を察すると、諭して回るのも私の仕事です。

Y君は、そろそろですね。

ちょっと変わった塾ですね。
でも、そんな塾があってもいいではないか、というのが私です。

ありがとうございました。

* * * * * * * * * *

すると、次のようなお返事を戴きました。

* * * * * * * * * *

私も子供と同じここの塾生なのかもしれません。
このような塾を見つけられて良かったと思っております。

有難うございました。

* * * * * * * * * *

こちらこそ、力強いお言葉を戴き、ありがとうございます。

感謝のきわみです。

日々精進。日々これ勉強です。

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お母さん方へ~Lineでこんなやり取りをしている塾です~

<私>

こんばんは。
H君、今日は、大きな数(兆・億万・)の復習から入りました。

最後の方は、かなり気合いが入っていましたが、
う~ん、字がきれいではないですね。

初めはちょっと戸惑いながらしていましたが、
「0(ゼロ)」の読み方は理解できるところまで達成できました。

なかなか頑張りましたね!

<H君のお母さん>

字が汚いのはダメですね。

丁寧に書いてるときは筆圧もしっかりしてて

綺麗な字が書けるんですけど、

面倒くさがりがすぐに出て困ります。

家でも話します。

有難うございました。

* * * * * * * * * *

これは Line でのH君(小学4年生)お母様とのやり取りです。

何事にも一生懸命な、とても素敵なおH君の母さん。

ただ、実直がすぎてしまい、

問い詰めてしまわれることもしばしばあるそうです。

そういうときには、

「わが子にもっと上手く伝えれられる方法」について

ご相談をいただくこともあります。

次の返事は、そのようなことが予想できたので、

やや差し出がましさを感じながらも、先手を打つ意味で差し上げました。

続けます。

ちょっと長くなりますが、最後まで読んでくださると、

大変嬉しいです。

<私>

お返事を下さり、ありがとうございます。

字がきれいになるのには、時間がかかります。

学習への意識がしっかりしてこないと、字はきれいになりません。

意識がしっかりしているときは字もしっかりしていますが、
それが、学習開始から少し時間が過ぎると、

学習という意識を忘れてしまい、

さらに、同じような問題やプリントをさせられると、
特に面倒がる子は「望まない作業をさせられている」という

意識の方が強くなってきます。

そうなってくると字も乱れてくるのですね。

その都度その都度、根気よく穏やかに注意して、
たとえば、

「この字な~、もうちょっとキレイに書こうよ~」というような感じですね、

そういう風に言いながら、対症療法的にするしかないように思います。

ことに、H君には、穏やかに言う方が効果的です。

ご家族の場合は、どうしても感情が先に出てしまうので、

難しいところではあるのですが・・・。

「ナンであなたは○×※*なの?」とか
「何度言ったら分かるの?」は、忌(い)み言葉(マイナスの言葉)です。

「もうちょっときれいに書けたら、お母さん嬉しいねんけどな~」とか、
きれいに書けたら「お、すばらしい~!」と褒めてあげてください。

H君にとっては

「学習

=また怒られる」

みたいな構図が出来上ているところがあり、

「間違える

 =悪いこと

 =出来ない自分

 =頭が悪い

 =勉強が嫌い」となると、

後々が大変です。

「スーパー飛び級・算数・第1ステージ」は、

「間違える

 =自分の弱点に気づけた

 =これでここは出来るようになる」

という構図に意識を置き換える作業でもあるのです。

今日も、

「算数どうする~?  ゼロのことがよく分かってないでしょ~。
せやから、『大きな数』から復習しよか~。
復習やから、予習よりも簡単やで~。」

と、H君にそれとなく投げかけて、

「それやったら、復習からする。」

と、彼が言うように、こちらで導きました。

彼の頭の中にある

「算数

=ワケ分からん

=難しい

=面倒くさい」

を否定せずに始めさせるキー・ワードは、

「復習

=1回学校で習ったところ

=知っている

=忘れたとしても、すぐに思い出せる

=予習より、楽だ」

コツは、

「復習

=予習より楽」を

結びつけることです。

ただし、ストレートに結びつけるのはNGです。

「復習やろ?

1回学校で習ってるんやから、

アンタ、分かってるから出来るやん!」

ですね。

これ、実は、良くない例なんですよ。

ナンでかと言うと、

「復習やろ?」という言った時点で、

「復習やん

=1回してるやん

=覚えてるやん

=出来るはずやん」

という、大人の目線、

つまり、「上から目線」で決めつけている言葉を、

子どもさんに ぶつけてはる(ぶつけていらっしゃる)からです。

でも、大抵のお母さんって、

これを子どもさんへのアドバイスやと思ってはって、

「上から目線」やということに気づいてはれへんのですね。

これで、習ったところを(子どもさんが)

無難に出来はったら(出来れば)エエのんですけど、

出来はれへんかったら、どないなりますか?

つまり、この「出来るはずやん」の次に来る言葉は、何でしょう?

はい。

「え~? こんなモンもでけへんの~?

1回(学校で/塾で)習ったやん!」です。

さらに、「せやから(だから)・・・」と続き、

どんどんヒートアップして、

「何遍(なんべん)言(ゆ)うたら分かるのん!」という言葉を発して

(あ、また言うてしもた~)となる繰り返しになりませんか?

思いっきりマイナスのスパイラルですよね?

ケンカ言葉というのがあります。

それは、

「だいたいお前(アンタ)はな・・・」

「この前もそうやった(言うた)けどな・・・」

「ずっと言おうと思ってんやけどな・・・」

「怒れへんから言うてみ!」

などですね。

もう、感情まるだし・・・。^^;

これ、無意識に言うてはりません?

初めからけんか腰ですやん。

大切なのは、彼をどうやって学習に乗せてゆくかですので、

感情が前に出ると、
彼も構えて、「せやから、勉強キライやねん!」と言わざるを得なくなるのです。

売り言葉に買い言葉の構図です。

そうならないように、私もいろいろと知恵をしぼってゆきます。

ありがとうございました。

<H君のお母さん>

ここに書かれてる通りのことを私はしてしまってますね。

息子に言いたいことをストレートにぶつけてしまいます。

はじめは丁寧にな言葉が掛けを続けてはいるんですが、

プチンとくることが多々あり、堪えられず、
「ホンマにわかってるの??」と繰り返し、ムリに返事を求めてしまいます。

他人様にそのようなことは、勿論しませんが、
長男は私に、
「なんでいつもいつもそんな言い方ばっかりしてくるん?」と、よく言うてきます。

次男坊のHも同じような態度をしてきます。

これも悪循環のひとつですよね。
私が導く力を付けないと、今の状況から脱することは難しいということですね。

心掛けていきます。

アドバイス有難うごさいます。

* * * * * * * * * *

この続きがありますが、それは翌日に・・・。

※ この記事について、当事者であるお母様より、事前にご許可をいただいております。

「頭文字(イニシャル)R」~三人三様~ ①

偶然という名の摩訶不思議。28年間塾業を営んできましたが、こんな偶然は初めてです。名前の頭文字(イニシャル)が「R」の子が3人にて、全員が男の子。しかも小学2年生・5年生・中学2年生と3年飛びなのです。

年齢差の間隔が等しいことは、Facebookに記事を書いていて気づいたのですが、ナンだか『だ○ご三兄弟』みたいです。(笑)

興味深いのは、これも3人の写真を掲載して初めて気づいたのですが、わずか3年でめざましく成長するその素晴らしさです。

学習のスタイルも三人三様。

今日ご登場願うのは、最年少の小学2年生のR君です。

3人の中で最もユニークです。特に数字に対する発想が面白いというのか、むしろ不思議です(このお話をお母様にすると、おうちでも「不思議君」と言われているそうです)。

「なぁなぁ、センセー、9×12 は 108 になるよね。」と、突然尋ねてきたので驚きました。現在学校の進度よりも、ちょっと先を進んでいて、九九が終わったところですが、この九九を学習しているときのことでした。

何に驚いたのかというと、かけ算の繰り上がりという概念はまだないはずなのに、正解を導き出したからです。それで、詳しく尋ねてみることにしました。すると、なんとも不思議な発想をしているのですね。語彙力がまだまだ覚束ないので、聴き取るのにちょっと苦心しましたが、まとめると次のようになります。

9×6=54 12=6×2 だから、9×12=54+54=108

さらに遠回しに尋ねてみると、9×12=9×6×2 という概念はまだないようです。

そのことをお母様に Line でお伝えしたところ、ご家庭で、どこまで発想できるのかを調べられたそうです。例えば・・・

「9×14 で 7×2 になるから、9×7=63 だから、9×14=126 になるの、分かる?」とお母様が尋ねると、R君は途方に暮れて「???」だったそうです。つまり、なぜか6にだけ反応するのです。

「先生、どうしましょう?」とメッセージをくださったのですが、「むりやり理解させようとしないでくださいね。そのままそのまま・・・。」とお答えしました。なぜなら、この子は次のような思考タイプだからです。

自分の感覚に正直に仮定を立ててみる。いずれ数字の妙や、かけ算の妙に気づいたら、この子は一気に独自の論理展開を組み上げて、一足飛びに進むでしょう。つまり、自分の感覚に対してとても素直で、理由は分からないけれど、自分の考方が正しいということは肌で認識できている。でも、それがなぜ正しいのかは、語彙力のつたなさから、説明できずにいるのですね。

そして彼が次に発したことは、「センセー、国語も勉強したい」。

「なんで~?」

「算数ばかりしていたら、頭の中が算数だらけになるから。」

表現はとても幼くてどこかシュールですが、自分の数に対する発想を自分なりに論理立てたいという潜在的な欲求から国語の学習の要求を発したのではないかと考えるのは、親の欲目ならぬ、塾長の欲目でしょうか?

こういう思考タイプの子には、大人の論理を無理強いしてまで教え込む必要はありません。自分の発想に対する素直さが壊れてしまいます。子どもたちの発想は、大人の想像レベルを遙かに超えた、設計図や計算なしの感覚の世界でおこなわれているので、まるでガラス細工のようにとても壊れやすいものです。

大人はその論理(なぜそうなるか)を知っています。勿論答の導き出す方法も答も。

でも教えないこと。

教えたいけれど、教えないこと。我慢ガマン・・・。これが大人の「カメ式勉強」ですから。

さて次回は、ヤモリ大好き・動物大好き少年の5年生のR君にご登場願いましょう。

「詰め込み」と「積み上げ」を区別していますか?

私たち指導者がよく話題にすることのひとつに、詰め込みは是か非かというものがあります。私からすると、「詰め込み」と「積み上げ」を混同した「詰め込みの是非」の議論なんてナンセンスです。なぜなら、大切なのは次のことだと思っているからです。

① 覚える習慣を頭脳に刻まなければいけない時期には、詰め込みも必要な場合がある。

例えば最も体が成長する時期にある程度の運動をして体を鍛えなければいけない時期があり、そのとき運動系のクラブや校外活動などで体と精神力が鍛えられている子と、そうでない子とでは、見た目だけではなくて考え方にも大きな差ができます。それは別に運動系に限ったことではなくて、音楽や美術といった芸術系であろうが、社会問題に関心を持ちそれに対して研究を重ねてゆくことであろうが、何でも良いのです。

大切なのはその活動を続けてゆくためには、「せめてここまでの体力をつけてください」とか、「その知識や技術ではお話にならないでしょ」という、「せめて」というレベルがあるのです。そのレベルに到達するまでは、基本的な訓練を繰り返し繰り返し要求されてくるはずです。この「繰り返し繰り返し」が、学習では「詰め込み」の時期になるのです。ところがいざ学習となると「せめて」のレベルの範囲で覚えさせられる子どもたちを見たギャラリーから、「そんなに詰め込んでどうするの?」などという批判の声を上げられることに対して、およそ正しくモノを見ていないレベルの人から、そのようなことを言われる筋合いはないというものです。なぜなら、「せめて」のレベルの範囲での覚えることを、繰り返し繰り返し覚え直すことで、確実に「せめて」を「積み上げ」てゆく訓練だからです。

② 「詰め込み」と「積み上げ」の区別をする

せめて覚えておかねばならないことを覚えるまで訓練することと、訓練と称して必要性のないことまで全部覚え込ませようとするのとは違います。それを区別しないで、十把一絡げで「詰め込みはいけません!」と言われるのは、指導を専門とする立場から言わせていただくと、物事をきっちりと見てからモノを言ってほしいところです。

大切なのは、子どもたちに覚えさせるときに、「せめて」という必要不可欠な事柄とそうでない事柄を、指導者が吟味しなくてはいけないということです。それをしないで、とにかく全部覚えさせるのが、本当の意味での「詰め込み」であって、「せめて」のレベルの事柄を覚え込ませるのは「詰め込み」ではなく「積み上げ」なのです。

覚えることをきっちりと覚えて、整理整頓させてクルマの荷台に積み上げる。これが「せめて」の範囲です。それに対して「詰め込み」は過積載です。ちょっとバランスを崩したら、積み荷も崩れてしまい、最悪の場合は、荷を積んでいるクルマ自体も横転するかも知れません。

義務教育で覚えねばならないことは、この「せめて」に当たります。この「せめて」ですら覚えようとしないわが子に対して、あるいは覚えられないわが子に対して、お母さんやお父さんが将来を心配するのは、親心というものです。

意義のある勉強の仕方をすれば、こんな疑問は生まれ来ないのでは?

「先生、ナンで勉強するの?」「ナンで、こんなの覚えるの?」

こういう質問はしょっちゅう受けます。塾を開設した頃は返答に随分と悩みました。28年前というと、私はまだ27歳でしたから。

最近はかなり発展してきていて、答える前に、その質問をした生徒には逆に聞き返します。「ナンでそんな疑問が生まれてくるんだろうね?」。

質問した子を責めているのではありません。そんな疑問が生まれるような勉強法をしている、あるいはさせられてはいないかを尋ねているのです。

例えば、理由も告げられずに明日までに英単語を50個覚えて来いと言われていたり、ただひたすら年号と歴史で起きた出来事を覚えさせられているとか・・・。

覚えるって、実は人間にとって、最も精神的なストレスがかかる頭脳作業なんですね。運動で言えば、ひたすら筋トレをさせられているようなものです。

そういった単純な作業(動作)が絡むことが少し続いただけでも、このブログの冒頭のような台詞が出始めるのは、それに対して不満があるから・・・というよりも、覚えること自体が単に気に入らないだけの逃げ口上を探し出して言っているだけです。

覚えることは、まず学習を始める立場の人にとっては、最低条件です。クルマで言えば、知識がガソリンに当たります。世界の名車フェラーリだってポルシェだってベンツやBMWであっても、ガソリンを入れなければ走りません。

それらを快適に走らせるためにはガソリンを満タンにするか、少なくともある程度の分量を入れないとお話になりません。

そういうところを子どもたちに正しく伝えると、逃げ口上を言わなくなります。なぜなら、今覚えているところが、この先どのようにつながってゆくかをわずかでも示してあげれば、自分のしていることが無駄ではないことが分かるからです。

そういう意義を感じさせることが、子どもの意識を向上させることにつながるように思います。

次回は「覚える」と「詰め込み」の違いについて、お話しできればと思います。

「バセバ11」???

正式に入塾が決まった中学2年生のR君。「スーパー飛び級・国語(N:第2ステージ)」を始めました。大抵の子が間違えるところを難なくクリアした彼。スピード感が違います。速いのです。確かに、言葉の読み込みに甘さがあるとはいえ、この子がどうして「低空飛行」を続けているのか、不思議で仕方がありません。

つぶさに見ていると、書くのを面倒がります。書くことの大切さを根気よくその身に染み込ませてもらうしかないようですが、この根元の原因は、意外なところにありました。

「とにかく書くのがキライ=とにかく書かないから英単語をえられない」という構図の背後にあったものは、本人が言うには「5・6年生の漢字が書けない」ことでした。

漢字と英単語は一見するとかけ離れているようですが、漢字をきっちりと書ける子は覚えるのが得意で、それが英単語になっても、難なく覚えることが出来ます。それは、きっちりと書くことで頭脳もきっりと認識できているからです。そこで、英単語を覚えることに対してどのような感覚でいるのかを知るために、あることを尋ねてみました。

もうかなり以前のことですが、英語が全然出来なかった子が言っていた「バセバ11」という覚え方を知っているかを尋ねたら・・・

やっぱり!

こともあろうに「(英語の)先生が言ってた」と言うではありませんか。困りましたね。彼が英単語が覚えられないといっている理由が分かるような気がします。

「バセバ11」・・・baseball(野球)のことです。「ba=バ」「se=セ」「ba=バ」「ll=11」。

ハッキリ言って困ったものですが、残念ながらこの意識レベルの子が少なくありません。というのは、「とにかく覚えてりゃイイんでしょ?」という、やっつけ仕事の感覚で学習しても、その場では点数は取れても、結局、その結果を次に繫げられないからです。

語学の英語では世界について行けないことに文部科学省が気づき、大阪府は先陣を切るようにして語学一辺倒の英語の入試をやめて、コミュニケーション英語(言語としての英語)の入試に大きく方向転換したというのに、同じ公教育の現場では、まだこんなことを言っているのです。

こんな低レベルの覚え方なんて、あり得ないですよ。

だって、「毛沢東」を「もうたくとう」と教えるならまだしも、「けざわひがし」と覚えればイイと指導するようなものです。

本来なら、例えカタカナであっても「毛沢東=マオ・ツォートン」と教えるべきですね。なぜなら、世界ではそのように発音していて、「もたくとう」と発音させているのは日本だけなのですから。

英語のスペリングには発音とアルファベットが、8割以上は関連しているのです。その法則をフォニックスといいます。

あまりこだわりすぎるのも決して良くありませんが、ある程度知っておくと、発音に関する問題について、高校入試レベルなら全問正解できますし、英単語を覚える速度も格段に速くなります。もちろん英文の音読にも大いに役立ちます。

そこでフォニックスについて教科書を調べると、どの教科書にも巻末にちゃんと掲載されています。ところが授業では適当に触れるだけで終わり。そこを何時間もかけて授業をするのは、進行上出来ないにしても、折に触れていけば良いだけのことです。残念ながら、それもしない。

R君だけでなくて、少なくとも私の塾生には「baseball」を「バセバ11」とは覚えさせたくはありません。

むしろ、たとえば、「tak=テェァック」と「take=テイク」見比べて、同じ「tak」なのにどうして発音が違うのかを考えながら覚えた方が、最初は大変ですが、何となく分かってきたら、覚える速度は3~4倍になり、忘れないようになります。

こういう所を丁寧に見てゆく学習習慣を身につけた子と、「バセバ11」で覚えた子とでは、なにかにつけて、大人になったときに大差が生まれ、それがレベルの高い仕事のオファーを受ける人とそうでない人とに分かれてゆくのだと思います。

その根っこがどこにあるのか、お母さんはお気づきですか?

小学3年生の1年間をどのような学習態度で過ごしたかなのです。4年生になったら遅いのです。それも4年生の夏休みを過ぎてしまうと、学習に対して好き嫌いという感情が確立するからです。その感情は3年生の1年間で芽生えて育つのです。

ところが、1年生や2年生の期間なら、その好き嫌いという感情の芽生えは、多少なりともありますが、まだ強くないのです。その時期をやりすごし、3・4年生もやり過ごし、お子さんが中学生になる間際あたりから慌て始めても、もうかなり遅いのです。苦しむのはお母さんではなくて、お子さん本人です。

「鉄は熱いうちに打て」と言うではありませんか。

音読は地図を見るのと同じです

どのような本でも初めて読むときは、その本については、その内容はほとんど分からないし、どのような展開が仕掛けられているのかは読んでからのお楽しみ・・・だから本を読むのが楽しいのですが、これをあることに例えると、分かりやすくなります。

あなたが友人の家に遊びに行くときを想像して下さい。その友人の家には、あなたは初めて行きます。

前もって友人に、どの鉄道の何に乗れば良いか、例えばJRの何線の各停に乗るのか快速に乗るのか、それとも私鉄に乗るのかを教えてもらい、続いて降りる駅を教えてもらいます。

そして駅から歩いて行く道筋を教えてもらいますが、それでも、特にちょっと入り組んだ道のりなら、私のような方向音痴だったら、たどりつくまでに、かなりな時間がかかることもあります。

つまり、「初めて読む本(文章)=初めて行く場所の地図」なのです。ですから、一角(ひとかど)ずつ丁寧に確かめながら少しゆっくり目に歩く必要がありますね。文章も同じで、ちょっとゆっくり目に読まないと、何が書いてあるのか分からない。

前回の音読がきっちり出来ない子は、この丁寧さが足りないのです。地図をちらっとみるだけで「ああ、分かった」というように、自分に都合の良い解釈をして、「結局道に迷う=どんなことが書いてあるのかほとんど理解していない」ことが起こるのは当たり前です。

「音読を丁寧にしない=丁寧にすることを面倒だと思っている=細かいことは出来ない=覚えられない」というように、何をするにしても丁寧さが不足している場合が多いですね。

そして、「音読を繰り返すうちにスラスラと読めるようになる=友人の家に何度も行くうちに道筋を覚えてしまう」となり、そのうちに「文章全体が見えてくる=その町並みがだんだん分かってくる」を経て、「書かれている文章から自分の考えを絡み合わせて読めるようになる=友人が暮らしている町の様子が分かってきて、脇道にそれても迷わなくなる」となります。

こうなれば楽しくなるはずです。だって、友人の家に行って帰る途中で、友人から教えてもらった美味しいラーメン屋さんを知ることが出来るし、自力でその町の名店を探し出すことも出来ます。

音読を繰り返すと理解が深まるというのは、こういうことなのですね。

そういう視点から生徒の音読の様子をつぶさに観ると、経験則ですが、今度の試験は何点くらいになるか分かったりします。もう28年間も子どもたちを観てきていますから。

そういう意味で、塾開設1年目は、「初めて見る子どもさん=初めて見る地図」でしたし、「始めて教えるところ=初めて見る地図」でもありました。

今でも新規の生徒さんは同じ状態ですが、経験が積み重ねられていることで、初めて見る地図でも「だいたい町並みはこのように作られているんだろうな」というように予測が出来るようになっているので、想定外のことが起きても、「あ、この辺りが、前に訪れた町並みと違うところなんだな」というようなとらえ方が出来るのと同じように、子どもさんをとらえることが出来ます。

文章を読み取るときも、このような経験がモノを言いますね。ですから、本を読むこと、文章を読み解くことはとても大切ですし、思考回路を鍛えてくれるので、やがては聞き上手、話し上手、書き上手につながってゆくのだと思います。

私たちのような指導者は深読みをする訓練を読書で養い、子どもさんや親御様の 想いにじっと耳を傾けて、ふさわしい解決策をじっくり練り上げることに役立てねばなりません。そういう想いで日々勉強を重ねて続けてゆく態度を子どもたちに示すことが出来れば、とても素敵ですね。